 
 菅原氏は、小アジア、キプロス、バルカン南部に及ぶご自身のフィールドワークを映像資料によって紹介しつつ、13世紀から15世紀にかけて同地域の主に小聖堂において、アプシス装飾に「プラティテラ型」と呼ばれる聖母子像の類型が顕著に増加することを指摘した。ビザンティンにおけるアプシス装飾では、初期の顕現図像から中期以降の聖母子像への変遷が認められるが、これにはイコノクラスム期に聖像の製作が神の受肉の証として擁護されたため、旧約的な再臨の主題が後退した影響を指摘しうる。とりわけプラティテラ型聖母子像では、オランスの姿勢で描かれ寄進者への加護を含意するプラケルニティッサ型の聖母に、インマヌイルが重なるかたちでしばしば正面のメダイヨン内に配置され、受肉の含意が強調されている。受肉の含意はアカティストス讃歌第3連を想起させる銘文が添えられている作例からも裏付けられる。加えて左右に吊り香炉を持って控える大天使を伴うパターンも存在し、プラティテラ型聖母子像はいわばモティーフの「オール・イン・ワン」的な様相を呈している。これは後期ビザンティンにおいて、小規模な寄進による聖堂の小型化と同時に、十二大祭サイクルに連続説話サイクルを加え、新たな図像が挿入されるような、装飾プログラムの多層化、複雑化という矛盾した傾向が進行しており、この状況において小さな壁面に可能な限り多くの情報を盛り込む手法が要求された結果であると考えられる。
菅原氏は、小アジア、キプロス、バルカン南部に及ぶご自身のフィールドワークを映像資料によって紹介しつつ、13世紀から15世紀にかけて同地域の主に小聖堂において、アプシス装飾に「プラティテラ型」と呼ばれる聖母子像の類型が顕著に増加することを指摘した。ビザンティンにおけるアプシス装飾では、初期の顕現図像から中期以降の聖母子像への変遷が認められるが、これにはイコノクラスム期に聖像の製作が神の受肉の証として擁護されたため、旧約的な再臨の主題が後退した影響を指摘しうる。とりわけプラティテラ型聖母子像では、オランスの姿勢で描かれ寄進者への加護を含意するプラケルニティッサ型の聖母に、インマヌイルが重なるかたちでしばしば正面のメダイヨン内に配置され、受肉の含意が強調されている。受肉の含意はアカティストス讃歌第3連を想起させる銘文が添えられている作例からも裏付けられる。加えて左右に吊り香炉を持って控える大天使を伴うパターンも存在し、プラティテラ型聖母子像はいわばモティーフの「オール・イン・ワン」的な様相を呈している。これは後期ビザンティンにおいて、小規模な寄進による聖堂の小型化と同時に、十二大祭サイクルに連続説話サイクルを加え、新たな図像が挿入されるような、装飾プログラムの多層化、複雑化という矛盾した傾向が進行しており、この状況において小さな壁面に可能な限り多くの情報を盛り込む手法が要求された結果であると考えられる。
 
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